⇒私が予想していなかった答えも意外に多く、一般的には自殺した本人や遺族が偏見を受け続ける要素を含んだ誤解がまだまだ身近にも存在していたことに少なからずショックを受けたことでした。
そうした発表を受けてまとめの法話では、オリンピックのメダリストが自殺した話などを例に精神的に弱い人が自殺をするのではなく、健常な人でも様々な要因・状況によってそうせざるを得ないと考えるようになることもあるということと、『いのちの電話』の活動を通して学ばせて頂いたことですが、ほとんどの自殺をほのめかす方に共通する“孤独”という本人の感情を和らげること(共感・寄り添い)の必要性を申し上げたました。
ん~こうした事はもちろん究極的には阿弥陀さまにしか出来ないことでしょうが、先日(⇒2月2日の記事)同様お念仏を頂く一門徒として(凡夫という自覚の上で)そうしよう努めるのも“ご報謝”ではないかと思っているのですが…。